昼下がりモンキー

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アベンジャーズ・エンドゲーム キャプテンアメリカとアイアンマンの対比の構造

アイアンマンことトニースタークは基本的にはエゴイスティックだ。

キャプテンアメリカことスティーブロジャースは、基本的には自己犠牲の人間だ。

その構造が、アベンジャーズエンドゲームにおいて逆転することに感動がある。まったく違う信念を持つ者同士が、最初は反発しつつも、歩み寄ることに対して、ぼくらはなんでこれほど感動してしまうのだろうか。それは、現実世界では起こることの少ない奇跡だからなのかもしれない。現実世界では、これほど劇的ではないかもしれないが、小規模には現実世界で起きている。歩み寄って人は成長していくからだ。そういう経験は、ちょっとずつ誰にもある。なければ、永遠に子供のままだ。

 この構造は例えば、トイストーリー。まじめで現実主義なリーダーであるウッディと、破天荒で夢見がちなバズの対比の物語だった。新参者の理想主義のバズに人は寄っていく。二人は反発しあう。しかし、物語が進むにつれ二人は協力する。その過程で歩み寄り、二人はそれぞれに成長を遂げる。ウッディは、子供っぽい夢見る心を取り戻し、柔らかくなる。バズは現実を受け止めて、自分の役割を知って大人になる。枯れた大人が心を取り戻し、幼い子供が責任を得るようになる話だ。実によくできている。

 このように、対立軸から学んで、時には妥協し、成長を遂げること、これがハリウッドが繰り返し訴えていることだ。それはもちろん、異文化理解・LGBT平等などの理想が含まれている。他者を尊重して歩み寄ることでしか人は成熟しないというメッセージだ。

 名作と呼ばれる物語には、対立→歩み寄りが含まれている。ここで私が思い出すのは、レイモンド・カーヴァーの「大聖堂」だ。盲目の人に対する差別意識があった男が、その男と共同作業をするうちに、感覚で分かり合うという奇跡だ。ここには頭や言葉による理解ではないから、ぐっとくるものがある。

 スラムダンクでは、桜木と流川が対立から歩み寄りを見せる。あの二人はどちらもアイアンマンであり、エゴイスティックなところが大きい。その二人が、共通の敵に向かうとき、最後の最後で協力をする。数十巻にわたって積み上げてきて、最後の最後に自己犠牲をする。集団への貢献をする。そこで、大人になる。その協力の瞬間に言葉はいらないのだ。前述のとおり、その歩み寄りは言葉で、頭で理解してやるものではない。感覚で二人がシンクロするのだ。それこそが、奇跡なのだ。

 アイアンマンとキャップの話に戻そう。

 お互いに彼らは真逆であるからこそひかれあってきた。二人はアメリカを象徴している。国旗の赤と青を二人で分けている。

キャップ

①昔のアメリカ・青:理想主義。1970年ごろまでのアメリカは政治的にも世界のリーダー的存在。利益よりも思想を重視。自己犠牲。清い。メンタルが強い。内面が強い。(鍛えられているから)

②肉体(内部)が武器。

③何ももたないが、それゆえに権威がある。しかし、理想が強く、なびかないので政府としては厄介。(西郷隆盛タイプ)

 

アイアンマン

①現在のアメリカ・赤:利益優先。特にアメリカの利益優先。思想よりも、利益を重視。自己優先。汚いところもある。メンタルが弱い。(鍛えられていないから)

②外面(外殻)が武器。

③金・権力をもつが、しかし人の心は得られない。理想よりも現実をとるため、政府としては協力しやすい。

 

 この見事な対比。きっとアメリカという国自体が、この両者の両輪だという意味も込められているのだろう。どちらかが強すぎても、成り立たない。バランスが大事だ。だから、あの両者は戦っても互角なのだ。しかし、この両極端があるからこそ、あの国は強いのかもしれない。

 さて、どちらも頑固であるこの両者がシビルウォーで決定的に対立したのち、エンドゲームで見事に歩み寄る。それだけではない、なんと逆転をして終わる。

 アイアンマンは、戦わないと言い続け、家族を優先すると言ったにもかかわらず、皆のための自己犠牲の結果、死ぬ。エゴ→自己犠牲

 キャプテンアメリカは、常に自己犠牲の精神で敵と立ち向かうが、最後は生き残り、今まで他人のためにしか生きていなかった自分の人生を、やっと全うすることができる。自己犠牲→エゴ

 ここに両者の大きな成長がみられる。歩み寄りを通り越して、逆転したのだ。これは、きっと二人が相互に良い影響をもたらしあったから起きた奇跡である。お互いの言葉による和解はあるが、それは簡単なものだ。大事なのはそこではない。お互いが感化され、無言のうちに、体が動いてしまう。実行してしまう。それが、人生における奇跡なのではないだろうか。

だから、我々はこういう物語を見たくなるのだ。こういう奇跡を見たくなるのだ。トランプ以降分断したアメリカが、また統合するための映画なのかもしれない。

 

 

 

moto