昼下がりモンキー

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スリランカ旅行記 1 simのない世界

世界の距離は縮まっているという。

ぼくは航空機の発達について語ることはできない。おおまかな知識しかない。それは多くの人が記憶から引き出せる近代史というものとほぼ同じものだろう。ライト兄弟がいて、リンドバーグがいて、第二次世界大戦があって、プロペラ機からジャンボジェットの時代に。いくつかの革新があって、そのたびに文字通り飛躍的に飛行機の速度は上がり、快適になっているのだろう。確実に世界の距離は近くなっている。

ぼくの短い人生では、もちろんそんな変化を見ることはできていない。

なにせ、まだ飛行機に積極的に乗り始めて10年ぐらいだ。よくある言説であるが、人類の歴史に比べてわれわれの人生は一瞬である。それと同様に航空の歴史に対してでさえぼくの人生は一瞬でしかない。航空の歴史なんてたった100年程度のものなのに。

 

ただ、個人でも、その変化を理解できることがある。それを体験として実感することはある。これは小さなものに見えるかもしれない。でも、本当にラディカルな変化に感じた。

それは、世界中どこにいってもwifiが通じる世界になっていることだ。世界中どのホテルにいっても電波が通じてしまう。実感としては、3年だ。2010-2013年の間に世界中のどのホテルにも、wifiが置かれるようになったのではないだろうか。それはどんな安宿でも。あくまで実感の話だ。そして、日本でもiPhoneやアンドロイドが普及した。もちろん自分も買い換えた時期が重なる。

たった3年だった。その変化の速さに、愕然とした。

2007-2009にヨーロッパやアジアを周った時は、日本に連絡するのに電話を使ったり、インターネットカフェを探した。その面倒さを抱えるたびに日本が遠くなった気がした。

2010年以降はiPhoneを海外に持っていった。旅は劇的に変わった。日本にいつでも連絡が取れた。現地人とFacebookですぐに友達になれた。快適だ。安心が得られる。予定調和が増える。不確実な要素は消える。驚きも減る。それは、もしかしたら歳をとって心が鈍くなったことも関係しているのかもしれない、とも感じながら。世界は間違いなく近くなった。日本は遠くにならなくなった。

 

今回の旅の話をしよう。スリランカに行った。

行くと決めてから、人にセイロンティーの産地であることや、仏教国であるとかを教えてもらった。なぜスリランカか、と訊かれると確たる理由がない。それでも無理に言うなら、スリランカがインドの南にあるからだ。インドに行く前に、一旦スリランカに行きたいと思った。人にはなかなか理解してもらえないが、自分の中では筋の通ったものであって、うまく説明できないこと。そういうものはよくある。

スリランカの首都にあるコロンボの空港に降りた両替した後、40歳ぐらいのスリランカ人の男に声をかけられた。

「市街地までタクシーで行くから乗っていかないか」

車内では、電話番号を交換した。この後の目的地を告げると、その地に住む友達を紹介してくれると言う。彼が一番良いツアーを手配してくれるし、いいホテルも紹介してくれるだろう。ありがたい申し出だった。

スリランカのsimを入れて旅をすれば、電話が使える。こちらもいつでも連絡できる。そうすれば君の旅は快適だし不安な要素はなくなる。いい旅になる。君が選ぶといい」

スリランカ人は良い人ばかりだった。騙しにかかる気配はまったくなかった。でも、結果としてsimは入れなかったし、目的地にいる彼の友人に連絡もしなかった。

なぜだろうか。

おそらくは、ぼくが、不安な要素、不確定な要素を求めて、スリランカに行っているからなのだろう。そのせいで抱える。困難はある。間違って11時過ぎにゴールという街にホテルも予約せずに着き、全部閉まっているせいで、トゥクトゥクのおじさんに無理に電話させ、ホテルのシャッターを開けさせ、不機嫌な従業員に謝って泊めさせてもらうこともあった。

ずいぶん迷惑なことをしていると思う。人の好意も断ることもある。でも、simを入れて、連絡がいつでもできるようになってしまったときの予定調和の世界にいたら、楽しみも減ってしまう気がする。たぶん、確実に減るだろう。

きっと大昔に比べて多くの旅の楽しみは失われている。そんな安全な旅しか知らないのに、ほとんど意味のない抵抗をしている。

ほとんど。

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