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イラン旅行記2 -  バザールに見る男女のパワーバランス

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 夫婦喧嘩をしているイラン人を見ると、いいなあと思った。
 女性と男性の関係として、バザールでストッキングを売っていた男と、客の女性が激しく口論していた一幕を思い出す。商品の質が悪かったのだろう。しばらく遠巻きに観察していたが、男が半泣きになっていたのでおそらく負けたようで。思ったよりもこの国の女性は強いな、と思った。
 イランの男尊女卑事情はなかなか徹底的だ。男女のバス、モスクは入口が違う。成人というか、何才からか子供が終われば厳格に区別されヘジャーブ(頭に被るスカーフ)が必須になるが、小さい頃はかなりボーダーレスに動き回れる。ちょうど日本におけるプールの更衣室のような扱い。

 かつて欧米並に自由度の高かった国家は、イラン革命を経て、ガチガチの男尊女卑社会に変わってしまった。これを我々は「時代に逆行」と形容することも可能だ。でも、もしかしたら時代の進む方向なんてものは一通りではないのかもしれない。

 男尊女卑の激しいこの国家においても、庶民のレベルではそうはいかないようだ。男女の自然なパワーバランス。それは上から押さえつけたところで、日常生活の中で噴出してしまうものなのだろう。太平洋戦争の前の日本であっても同じような光景はたまに見られたのだろう。「父」「国家」という権威がハリボテであることは、庶民レベルに視点を落とせば世界の共通認識なのかもしれない。

 それでも、このハリボテは強い。裁判で女性に不利な判決が多く、そのたびにイランは非難される。国家レベルの倫理基準は、あまりに市民生活のレベルと乖離している。それは今回実際に見て感じたこと。

 戦いに敗れた男は泣きそうな顔で通り過ぎ、またその周りで屯しているタクシーの運転手どもに慰めてもらっていた。やることのない男がひとところに集まって、時間を持て余し、どうでもいい傷の舐め合いをしながら孤独を紛らわす。これも世界共通で見られる光景だった。
 それでも、やはりこの国では男が負ける姿は珍しいらしく、「良識」のある人々の白い目が、おそらくは2人の女性に向けられていた気もする。

 どちらに進もうが、この国の倫理はまだまだ変化していくのだろう。

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moto