昼下がりモンキー

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イラン旅行記 5 - 結婚式とポリエステル

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 イランを旅行中、結婚式に招待された。

 是非よろこんで―と返事したいところだったのだけれど、聞けば日程が帰国日と重なる。しかも地方都市シラーズで挙式の予定であり、結婚式のあとで首都テヘランに戻っていたらどう考えても飛行機に間に合わない。泣く泣く断念し、丁重にお断りすることになった。

 イランの結婚式は豪勢だ。規模が違う。新郎、新婦ともに千人規模で招待する。イラン全土に散らばる親戚は勿論、知人ならば取り敢えず呼ぶ。だからトルコやイラクや遠方からもはるばるやってくるそうだ。しかも電車で20時間とか平気な顔だ。確かにそれだけ多くの人を招待するのであれば、妙な東洋人が一人紛れ込んだところで誰も気にしないかもしれない。

 「残念だよ」とマジッドは言った。彼は三男で、今回結婚するのは30歳になる長兄の方らしい。「盛大な結婚式なんだ。」

 彼はサムソンの大型テレビに色とりどりの配線をつなげて、動画を見せてくれた。その映像は、去年に行われた結婚式の前祭の光景だという。

「この地方では結婚式は3回やるんだ。前祭、本祭、後祭。勿論、本祭が一番重要だし、一番人を招待して盛大にやるんだよ。」

 そして一週間後に開かれるのは、本祭とのこと。本祭を終えれば、やっとお嫁さんがこっちの家に来るらしい。一番めでたいんだね、と言うとマジッドは答えた。「一番だよ。家族が増えるんだ。」

 重要度の多少落ちる「前祭」。それでも、映像を見るかぎり村中の人が参加しているようだった。水色やピンクの衣装をまとった女の子たちが笑顔で舞を踊っている。その女の子たちが先導し、民家の脇を派手な衣装がパレードする。気だるそうなイスラム的音楽がどこかから漏れてくる。

 言ってしまえばなんだが、大した祭りではなかった。舞はグダグダ。ビデオに撮られているのが照れくさそうで、カメラと目が合うと恥ずかしそうにしながら、周りの動きに合わせて思い出し思い出し舞う踊り子たち。見ているこっちがドキドキするこの感じは一体なんだろうと思っていたが、そう、これは文化祭の発表を見ているような気持ちに近い。要するに、拙かった。

 少女たちが持つ水色、緑、ピンクの光沢をまとった布地が舞う。金色の紙吹雪がささやかに飛んでは踏まれ、泥にまみれる。変わりない光景を延々と15分ぐらい見せられる。動画の総時間は180分。これが延々続くのだろうか。動画の中で切り取られた新郎新婦だってどう見ても疲れている。この長ったらしい儀式は誰にとっても苦痛でしかないんじゃないだろうか。

 そう思って見回してみるが、マジッドの家族はみんな満面の笑みで動画を眺めていた。ああそうか、違うのだな。

 あのヒラヒラと舞う安い素材のポリエステルには、魔術的効果があるようだ。きっと彼らが見ているポリエステルは、ポリエステルではないのだろう。

 日本の結婚式のほうが美しいし着物もシルクの本物で洗練されている。下手な踊りも安い光沢も無い。そして何より魔術性がない。

 飛行機を逃してでもこの呪術のまっただ中に入るべきだったなと今は思う。それは一生に一回、経験できるかできないかの体験だったはずだ。そして、モスクの中のコーランの多重唱のような、本物の呪術性を感じることができたのかもしれない。

 次の日、マジッドと次男のムハメドペルセポリスまで車で連れてってくれたとき、家の中では聞けなかったであろうことに食いついてきた。

「モト、日本では彼女はいるのか。」

 そういう面白い話はないので申し訳ないなと思い苦笑いをしながら返事をする。

「でも彼女のいたことはあるんだろう。いいよな。イランでは結婚するまで彼女ができない。上の兄は30歳で結婚だ。すると、少なくとも俺はあと7年も一人だ。」

 笑いながら話していたが、寂しげだった。

 ここのところ数ヶ月雨が降っていないのは当たり前のこと。川に水があるところをこの旅行で一回も見なかったし、緑もほとんど見えず褐色の地表ばかりだ。それでもペルセポリスは観光地だからだろうか、丘の上から見渡せば土地の20%ぐらいは緑に染まっていた。ダレイオス二世の墓まで岩場を登ったが太陽の照り返しがきつい。

「モト、今度は子供を連れてくるといいよ。」

 その頃にはマジッドは結婚してるさ、と返すとなんだか嬉しそうな顔をした。結婚、結婚、結婚と。イランを旅行していて気づいたが、彼らの言うその言葉にもなんだかまだ魔術的要素が残っているようだった。言葉や概念、またそれに対する認識のどうしようもないぐらいの意識の違いが根底にあって、これが異文化というやつなんだと初めて知った。これはヨーロッパでも東アジアでも思わなかった種類の気持ちだった。

 そういえば、テヘランに帰る寝台列車に乗る時、駅のコンコースで仮面をつけている女性を見た。調べたらペルシャ湾近くにある村の風習のようだが、黒い装束で前進を隠しているため露出している部分が手しかない。こうなってしまうと女性の存在そのものが呪術めいている。そうか、結婚や結婚式でなく、「女性そのもの」が神秘なのだ。この国では。

いつかは消えるかもしれない光景でしょうが、そういう諸々の存在になんだか手を合わせたくなった。勿論、思っただけのはなし。

 

 

 モト

 

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乙嫁語り 1巻 (BEAM COMIX)

乙嫁語り 1巻 (BEAM COMIX)

 

 

この物語は後何年後かでテヘランに到達する予定。

 

乙嫁語り 5巻 (ビームコミックス)

乙嫁語り 5巻 (ビームコミックス)

 

 それよりも、イランの女性で眉毛が繋がってたるひとがちらほら。この5巻みたいな感じ。それ見れただけでもいいや。

イラン旅行記 4 - 軽やかな物乞い

 

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イランの若者の話を聞く。
 「ホメイニもロウハニも政治もよくない。たとえば、見てみろ、ホメイニーの聖廟はずっと作成中だ。右端の塔を作るのに13年経っても終わっていない。どんだけ税金使うんだ。それにアルコール禁止だし、ドラッグは出回ってる。学校での英語教育は禁止されている。禁止ばかりだ。」

 しかし、テヘランはよいところだと彼は言った。どこがよいのか聞くのを忘れてしまった。この排気ガスでカオスな首都の良い部分は僕にはあまり見つけられなかった。
 バザールを歩く。この国で初めて、子供の物乞いを見つける。手が汚れていて、服は洗っていない。気を引くための、ささやかに民族衣装に見えなくもない半端な服をだった。お菓子をあげてカメラを向けると笑って逃げる。「撮らせてあげないもんね」といった表情。
 東南アジアで無表情にバスに貼り付いて金をねだる子供達に比べれば、楽しそうだった。遊びながら金をもってそうな大人に向かって交渉する。ダメならダメで、また何人かで集まって笑って、軽やかに人混みを抜けていく。物乞いにも何かしらやりがいや達成感、もしくは純粋な遊びの一種のような楽しみが得られるのかもしれない。職業に貴賎なし、というが、これを職業と言っていいのだろうか。ただ、それでも楽しそうなのは救いだ。
 また来た。今度は日本円を取り出して、一円や十円をあげる。バザールで葡萄を買って食いながら、彼らにあげようと思い夕方広場に引き返したところ、彼らは既に帰ったようで。残念だったが、夜には帰る場所があるらしい。夜は働かないでいいなら、それはいいことだ。
 アジアを旅行すると誰もが思うことについて考える。

 きりがないことをどうするか?

 中途半端な自分は、物乞いにお金は渡せないが、何かしらの意味があるかもしれない贈り物や、食べ物を渡す。
 子供の商売、と考えるとカンボジアアンコールワットミャンマーのバガンでは、二束三文の絵葉書や民芸品を売っていたが、楽しそうだった。彼らは無害な観光客と交渉し、遊び、英語を学び成長する。

 なんだかこう思える。テヘランの軽やかな物乞いも、ミャンマーの観光地で絵葉書を売っている子供たちも、その表情と遊びの楽しみ方は同じようなものだ。そして、情に訴えてほんのわずかな金銭を得るところにその本質性を同じくする。

 今は物乞いも絵葉書売も、その行為の意味をわからず遊んでいる。しかし、もう少し大きくなった時に大きな差を感じることになるだろう。本質的に大差ないことでも、片方は大きなアイデンティティの危機をもたらすかもしれない。成長に暗い影を残すかもしれない。だから何かしら売るものを持ってたらな、と思う。テヘランの物乞いも絵葉書とか売ればいいと思うんだが、無責任な旅人の戯言である。

 

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moto

イラン旅行記2 -  バザールに見る男女のパワーバランス

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 夫婦喧嘩をしているイラン人を見ると、いいなあと思った。
 女性と男性の関係として、バザールでストッキングを売っていた男と、客の女性が激しく口論していた一幕を思い出す。商品の質が悪かったのだろう。しばらく遠巻きに観察していたが、男が半泣きになっていたのでおそらく負けたようで。思ったよりもこの国の女性は強いな、と思った。
 イランの男尊女卑事情はなかなか徹底的だ。男女のバス、モスクは入口が違う。成人というか、何才からか子供が終われば厳格に区別されヘジャーブ(頭に被るスカーフ)が必須になるが、小さい頃はかなりボーダーレスに動き回れる。ちょうど日本におけるプールの更衣室のような扱い。

 かつて欧米並に自由度の高かった国家は、イラン革命を経て、ガチガチの男尊女卑社会に変わってしまった。これを我々は「時代に逆行」と形容することも可能だ。でも、もしかしたら時代の進む方向なんてものは一通りではないのかもしれない。

 男尊女卑の激しいこの国家においても、庶民のレベルではそうはいかないようだ。男女の自然なパワーバランス。それは上から押さえつけたところで、日常生活の中で噴出してしまうものなのだろう。太平洋戦争の前の日本であっても同じような光景はたまに見られたのだろう。「父」「国家」という権威がハリボテであることは、庶民レベルに視点を落とせば世界の共通認識なのかもしれない。

 それでも、このハリボテは強い。裁判で女性に不利な判決が多く、そのたびにイランは非難される。国家レベルの倫理基準は、あまりに市民生活のレベルと乖離している。それは今回実際に見て感じたこと。

 戦いに敗れた男は泣きそうな顔で通り過ぎ、またその周りで屯しているタクシーの運転手どもに慰めてもらっていた。やることのない男がひとところに集まって、時間を持て余し、どうでもいい傷の舐め合いをしながら孤独を紛らわす。これも世界共通で見られる光景だった。
 それでも、やはりこの国では男が負ける姿は珍しいらしく、「良識」のある人々の白い目が、おそらくは2人の女性に向けられていた気もする。

 どちらに進もうが、この国の倫理はまだまだ変化していくのだろう。

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moto

イラン旅行記 その1 - 放棄された建物

 

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作りかけなのか、廃墟なのかわからない建物。

乾燥による劣化が激しく、それを維持するほどの人材と資源が釣り合っていないのだろうか。作りかけで放棄された建物ばかり。たまに見える放棄された土地、そして砂漠・荒野、砂漠。

 この国では、人々は少ないオアシスに逃げ込みます。国土のほんの数パーセントに活路を見出して、乾きと戦います。川なんて夏も秋も干上がって、白い石を露呈するのみ。コンタクトは目にはりついて、鼻はつまるし、油が胃を悩ませる。
 しかし乾いた土地を補うように人が優しい、などと言ってしまえば言い過ぎでしょうか。
 イランは文明国でした。ミャンマーとか、ベトナムとかは未開文化の影があります。それらの土地は大体が農村の人たちで、牛馬の匂いの抜けない土垢のついた人たちが大勢います。(僕も農民なので、その匂いは嫌いではありません。)

 しかし、ここは2500年前から偉大なる王朝を築いてきた先祖を持ち、文明国としての誇りをもって生きているという文化的な厚みを感じます。彼らは、単に「いい人」で終わるのではなく、節度のあるマナーをもったいい人たちなのです。旅行者を見ても「あれをくれ」「これをくれ」とは一般人は言いません。(物乞いは言います。それは世界中どこでも。)そこに大した違いはないかもしれない。でも、何かしらの文化的な厚みを感じます。

 オイルマネーの影響である程度の富を確保できているのかもしれませんが、それでもかなり貧しい。貧しさの中に秩序と文明的な節度が存在している、なんて言ったら昔の日本みたいじゃないですか。

 

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moto

イランから帰ってきました

お久しぶりです。

イランから帰ってきました。10日ほどの滞在でしたが、今まで行った国の中で最も異文化でしたね。

しかし、アジアです。アジアの西の果てとはいっても、この極東の日本と似通った精神性をしていることを感じて不思議な気持ちになりました。非常に人間関係がウェット。そこはヨーロッパとは違う。家族の結合が強く、自他未分化。家族は個人であり個人は又家族である。運命共同体という感じ。結婚式は2000人ぐらい呼ぶらしい。何よりも、家族が繁栄することを重視する。

 しかし、個人化へと道をひた進む日本人の一人である私にとっては、それが随分と重い面もある。どこまでも懐かしくて、息苦しい。きっと月面世界から帰ってきた人が、地球の重力にびっくりして不自由を感じるようなものかもしれません。そしてここでの問題は、『地球の重力こそが人間の感じるべき極めて本来的な重力だ』ということです。勿論、なんであっても失ってしまわれるものにはメリットとデメリットがあって、どちらが正しいかなんて誰が判断することができるだろうか。

 そんなわけで、道行く人に話しかけられたり、おごってもらったり、泊めてもらったり。いつの間にかイランに家族が2つほどできました。ウルルン滞在記です。

 可能なら道行く人と友だちになって泊まり歩きもさせてくれそうだったのですが、やっぱりイランの重力には足腰が敵わない。優しさに接するのには相当な体力を要するようで、体がおかしくなってしまう前に控えることにしました。

 

写真をアップします。

下が、砂漠の街、Yazdの近郊。30年前に放棄された街。

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これがペルセポリスアレクサンドロス大王に滅ぼされた都。2500年前に放棄。

 

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地震のない国は古いものが残ってていいですね。

旅行記は希望があれば。

moto

イラン行ってきます

イランに行ってきます。

帰ってきたら写真でもアップしますので。

ますます書評ブログでなくなる昼下がりモンキーでした。略して昼モン。

 

今回の目標はコレ↓

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とコレ

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あと難しいけどできることなら

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行ってきます。

moto

レビュー『深夜特急 4 シルクロード』 現実を追いつかせるな

 

 来週イランに行ってきます。その前に、深夜特急を読んで復習と予習をしておこうと思い、本棚から取り出す。読んだのは随分前なので記憶は曖昧だったが、やっぱり沢木耕太郎はイランに寄ってた。よかった。

 

深夜特急〈4〉シルクロード (新潮文庫)

深夜特急〈4〉シルクロード (新潮文庫)

 

 

 再読した印象からだとイラン革命前だろうか。あくまでイメージでしかないが、革命後の締め付けの厳しさが無い気がする。革命前を見たかったなあ、と思う。いや、一番うらやましいのはアフガニスタンに入国できたことだ。今となっては少なくともこれから30年は入れないと思う。シルクロードの中核の一つであるアフガニスタンは見てみたかった。荒野とラクダと遺跡、タリバンに破壊された仏教遺跡。バンコクで出会った日本人がいる。旅に生きて、旅のまま死んでいくタイプの人だ。彼は3ヶ月働いて、金を貯めて好きなだけ放浪して、また少し稼ぐことで生きていた。何も生み出さないし、何も残さない人である。彼は世界中で最も美しい場所はアフガニスタンの夜の荒野であり、その静けさだと語った。シルクロードの幻はいまだに各地に残っていて、訪れた旅人を魅了する魔力もまだ残っているようだ。

 さて、深夜特急の話に戻そう。

 再読して感じたところ、この人は旅をしているのでなく、普通の「生活」をしているのだなと思った。これがおそらく、ふつうの旅人とは違うところで、深夜特急が妙な引力をもって人を魅了し、また間口が広く読み継がれる原因なのだろう。旅というものが、異様に身近でいて異常に視点が近い。

 

「移動するスピードに現実を追いつかせるな」 という旅人のモットー

『使い道のない風景』(村上春樹著)に上記の言葉がある。これが旅行者のモットーであるそうだ。現実を忘れるために、異世界に行く。現実的な重さをまとわず、どこまでも逃げ続ける生活。どこまでも残念でどこまでも理想的。 

使いみちのない風景 (中公文庫)

使いみちのない風景 (中公文庫)

 

 『男はつらいよ』はその精神を純粋に煮詰めた形であると思う。だから、寅次郎はどこまでいっても現実味のない夢の中の存在だ。どうしても、最後48作目で沖縄に行って終わるのが幻想を生きた人の象徴としか思えない。渥美清が死ななければ50作まで作られたというが、でも地上の楽園である沖縄で最後の作品が終わるというのが、やっぱり夢の中のようで偶然には思えなかったりもする。

 寅次郎が生きるべき現実(カタギ)の柴又に帰ってきて、毎回そこで生きてみようと思うけれど、地道な暮らしという閉塞感や、失恋という情けなさなど、現実世界が作り出す重力に嫌気がさして旅に出てしまう。その移動による距離的感覚とスピードが、「現実」を振りきってくれるのだ。これは、嫌なことがあってどこかへ逃げ出した人にはわかる。身体的にわかるのだ。「今、現実を振りきっている」ということが。まあ、どこまでも唯の錯覚なんですが、身体的感覚に同一化してしまえばごまかせる。寅次郎とかは太古の感覚を持っている人間なので、「寂しさは風が吹き飛ばしてくれらあ」とか「旅に出れば三日もあれば嫌なことは忘れちまう」とか言う。実際、どんだけ悲しいことも、本当に三日で忘れているようなので、本当に凄い。成長はないが、いくらでも再生していくしぶとさ。一長一短であるけれど誰もが憧れる自由さなのだ。

 「現実を背負ったままの移動」 という沢木耕太郎

 『深夜特急』における沢木耕太郎は、このモットーにまったく当てはまらない。何物からも逃避せず、ただ見るために旅をする。なんのために?「生活」を見るためらしい。最初のうちは観光すら忘れていたようで、その自然体が恐ろしい。

 多少ロマンチストであるが、過去の遺跡や建築物などを見て知識を積み重ねたり、幻想を抱きたいのではない。どこまでも、「生活」を見ているのである。だから、メインは市場・バザールに行くことと絶え間ない移動とそこでの関係性。外国の人々を通して、自分の生き方を考える、日本社会を考える、今後の生活を考える。かなりの異文化の中でも、ただただ自分と日本社会を写す鏡として存在する。

 こういう傾向は、旅人とは逆のところにある。

 ディープな旅人の寅さんは、現実を置いてきぼりにして理想と幻想の中でありたい自分を演じ続けてきた。「生活」がない。まさに夢の中の人。

 一般市民は、現実の隙間を縫った旅。現実世界の「生活」を持っていて、その合間にちょっとした息抜きとして旅をする。現実から逃れないし、逃れる気もない。自分もこの部類。

 沢木耕太郎は、どちらとも違う。旅の中で「生活」をし続ける。旅が終わった後の現実世界との接合を考え続ける。

 しかし、文庫版4巻で、「旅を終えた後、旅人は普通の生活に戻れるのか」という不安を抱く。ディープな世界へ続く断崖絶壁の近くを見てしまったのだろう。ここまで旅をしている人は、だいたいその絶壁を落ちている過程にあると思うのだが、沢木耕太郎は自然な生活の重力によって、こちら側に留められている。心のなかで「生活」が基盤として根付いているのだ。

 私も、その断崖絶壁のほんのさわり、入り口だけ見たことがある。40日東南アジアをふらふらしていて、現実がどこまでも遠いのが嬉しかった。東南アジア特有のいつまでも終わらないでグズグズしている夕日を見ながら、毎日、戻らないで生きていく算段ばかり考えていた。現実世界の重力を振りきったところにいることは、どんなに寂しくてもある種の幸福感があることは間違いない。

 沢木耕太郎が味わった旅の魔力はこんなものではないはずだ。「ここまでいったらもう戻ってこれないかもしれない恐怖」というのはまた魅力的。酒、薬、女、などなど、それらと同じく弱い人の依存の対象として旅はあるのかもしれない。

 沢木耕太郎的な旅の仕方は、どちらかというと、「吟遊詩人」とか「旅芸人」とかのジャンルに近いのではないかと思う。前近代の定住せず「旅」と「生活」のバランスをとって、二極のバランスをとって生きてきた人。違いはその場で稼ぐことはせず、そこで何かしら真摯に吸収したことを、これから文筆業で生きていくための糧にしようとしたところだと思う。絶妙なバランス感覚が、「生活」を基盤とする視点こそが一般市民の視点に非常に近く、現実世界でくすぶっている心を熱くする。

 正直、寅次郎はどれほどかっこよくても考えてることがわからないし、同じような生き方は真似できない。でも沢木耕太郎の思考回路は自然にわかるし、自分にもできそうな気がする。そういうことかもしれない。

 

 現代ではどうか。「生活」をしながら人の「生活」を見に行く、というスタイルの旅行記の後継として、『インパラの朝』があるかもしれない。旅をすることと世界へコミットメントすること。深夜特急のデタッチメント傾向から次の指標に変わりつつある気がします。正直、深夜特急より好き。

 

インパラの朝―ユーラシア・アフリカ大陸684日 (集英社文庫)
 

 

moto